渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

渋谷周辺のバンクシー作品 Banksy in Shibuya




東京でバンクシーの作品が見つかったと、TVニュースまで報道している。日本初の発見か、との記事もあったけど、渋谷界隈には、バンクシーと思われる落書き(ステンシル)が複数あるので、あれは、日本初とは言えないんじゃないかなと思う。

いや、みんな、バンクシーの落書きが東京にいくつもあるのを、知っているもんだと思っていました。だって、日本でバンクシーの写真集だって出版されているんだし。

上の写真は、恵比寿で発見したもの。まだ、あると思う。有名なアートギャラリーの入り口わきに描かれていたので、ほぼバンクシーの作品でしょう。もしかしたら、ギャリーの許可を取って描いたか、ギャリーに依頼されたのかもしれない。

こちらは、渋谷川沿いのビルの壁で見つけた作品。正月に前を通ったら、上からペンキで消されていました。あぁ、残念。


その後、九十九里浜でも発見されたとのニュースも報道され、にわかに真贋が話題になってきた。でも、はっきり言って、バンクシー本人が語らない限り、本当の真贋はわからないと思う。

そもそも、バンクシーの路上落書き作品は、ステンシル(型紙)で作ってるので偽物が作りやすい。早い話が、型染と同じやり方。型紙を切り抜いたものを作って、その上からスプレーして壁に描いているから、型紙を複製すれば、いくらでも同じものを描くことができる。(グラフティやタギングなど、よるある落書きは、缶のペイントスプレーだけで描いている。)

某アンダーグラウンド情報によると、80年代の暴走族も、ステンシルを使って落書きを残したらしい。「吹田連合惨状」とか。ステンシルとスプレーを使うと、一瞬で済むので、すぐに逃げられるそうだ。

ここ数年、バンクシーの落書きに触発されたフォロアーも少なくない。渋谷周辺でも、ステンシルの落書きはときどき見かける。となってくると、よけいにバンクシーかどうか、見分けにくくなってしまう。

でも、バンクシー本人は、そんなこと気にしていないんじゃないかな、と思う。だいたい、バンクシー自体、一人の作家なのかどうか、わからない。アンディ・ウォホールもファクトリーという集団を作っていたし、村上隆も有限会社カイカイキキで制作している。


バンクシーの作品は世界各地でみられるが、複数の人が同じステンシルで世界各地で落書きしているのかもしれない。たぶん、バンクシーは、偽物が各地で描かれることも含めて、自分の創作活動の一環だと考えているんじゃないかと感じる。ムーブメントというか、社会現象としての作品。作品というより、プロジェクト感覚なんだと思う。

 


渋谷メガドンキホテル計画 Don Quixote Hotel de la Shibuya


ドン・キホーテの高層ホテルが渋谷にできる。

高さ130m、28階建てのタワーホテルが渋谷に建設される。完成年は不明だが、着工予定は2019年1月。開業はオリンピックに間に合わないかもしれない。
建築主はなんと、ドン・キホーテホールディングス。まだホールディングスの公式HPには、ニュースリリースされていないが、建設予定地には建築計画の公示看板が張り出されている。

メインの敷地は、百軒店の奥というか、道玄坂小路(地元通称、平成女学院小路)の台湾料理店「麗郷」の裏の坂を上がった高台。アニメ「バケモノの子」で熊徹の家があったあたり。周辺の土地も含めて一体開発される予定。

敷地面積5,737㎡、延床面積41,800㎡、28階建てと、周辺のラブホや雑居ビルを圧倒する規模の開発。延床面積がマークシティのエクセルホテル東急(408室、25階建て)の倍あるから、余裕で渋谷最大級のホテルが建設可能。

渋谷駅周辺では延床面積数十万㎡の大規模開発が進んでいるが、ラッキーなことに大規模なホテルは建設されない。渋谷駅南区(渋谷川沿い)の開発の中で、180室のホテルが計画されているだけ。渋谷のホテル計画は、他にもあるが、数十室程度の小規模な計画が4つ(公園通り、並木橋、北谷公園、神泉)で、中規模なものが宮下公園の200室級ホテルだけ。将来的にも、セルリアンタワー東急ホテル(411室)が、渋谷最大のホテルの地位をキープする予定だったのだが、メガ・ドンキホテルがそれを上回るかもしれない。

ドン・キホーテはすでにホテル関連事業には参入済みで、東京と大阪に宿泊・物販一体型のホテルを開業している。(ホテルの事業形態や土地建物所有などは未確認。)インバウンド需要の取り込みという点で、ホテル事業とはダイレクトなシナジーがあるので、当然の事業戦略とは思うが、渋谷には今年メガドンキが開店したところなので、物販一体型というよりも宿泊がメインになるのでは。先行2ホテル(客室数196室、172室)の倍以上の規模の開発計画にドン・キホーテの気合を感じるが、まだ報知しないのは、なぜだろう?(ニトリの渋谷店出店も、ニュースリリースより、入居ビルの改装工事標識の方が先だった。。。)開業時期を見極めようとしているところなのかもしれない。

ところで、渋谷ドン・キホーテホテルの建設予定地が、これまた曰く因縁のある場所だったりする。
バブル期まで、そこには木造の旅館「聚楽」が立っていた。バブル末期頃には、閉店して駐車場になってしまったが、その後、四半世紀に渡り何も建設される気配がなかった。見晴らしのよい高台なので、ビルを建てれば渋谷の夜景が楽しめるだろうと思ったが、裏通り(それもラブホや風俗店が軒を連ねている)にしか接していないのが、難点だった(ラブホ以外の用途を思いつかなかった、、、)。

3年ほど前、渋谷区の都市整備課の人から聚楽跡地の開発が動き出すと聞いたが、その頃にはドン・キホーテが開発する意向が区に表明されていたのだろう。そういえば、ヤマダ電機裏口前の雑居ビルが更地になったのも、そのころだった。旧ドン・キホーテ渋谷店のビルも取り壊されて、ホテル開発の敷地になるようだ。旧渋谷店の裏には、渋谷店の事務所兼倉庫だったビルもあり、そこも敷地になる。もしかすると、渋谷店出店時から「聚楽」跡地買収を見据えていたのかもしれない。東急本店通りまで一体の敷地にして開発できるなら、「聚楽」跡地は渋谷の中では、なかなか他にない好立地だったし。

こうなると、ホテル事業者(運営)がどこになるのかが気になるところだけど、外資の高級ホテルじゃない方が嬉しい。松濤の高級住宅街と道玄坂の風俗街が隣接しているという極端な狭域多様性は、世界的に見てもレアな渋谷の特性だと思うので、MEGAドン・キホーテ的な無国籍なカオス感のあるホテルになることを期待してます。

その後、入ってきた地元情報によると、28階高層ビルの11階より上がホテルになり、中低層部はオフィスと商業施設にする計画だそうだ。単純に計算すると客室数400室ぐらいのホテルになりそう。
ホテルは、渋谷には少ないビジネスホテルクラスを考えているらしい。去年、キャットストリート付近に開業したTRUNK HOTELはスタンダートツインで1泊4万円台後半、今年、公園通りに開業するhotel koeも3万円台後半と、比較的高め設定。どちらのホテルも結婚式ニーズ狙いなので、メガドンキホテルと直接の競合はなさそう。



 

夜の渋谷区長 Night Mayor


渋谷には「夜の区長」がいる。

昨年6月、渋谷の「夜の区長」が任命された。「夜の帝王」みたいな怪しい噂ではなくて、渋谷区長も認めた公式・公認の「夜の区長」。

渋谷区なので、区長と書いけど、英語では"Night Mayor"=夜の市長。この制度の発祥の地は、アムステルダム。
アムスといえば、「飾り窓」とか、歴史的に夜の街だから、昔からある制度かと思っていたが、ナイト・メイヤーが生まれたのは、2003年と今世紀に入ってから。かの国ですら、昼の行政・警察と夜の世界が歩み寄るには時間がかかったらしい。
この制度が生まれるキッカケは、ポール・ダンスに対する規制強化だったそうだ。当時、市当局は、ポール・ダンスを売春につながるとして規制対象に含めようとした。ナイト・クラブ業界側は、これに対抗して、ある日、市内50ヶ所以上のクラブで一斉に、ポール・ダンスのワンナイト・イベントを開催した。市当局も警察も、取り締まりの手が及ばず、ワンナイト・イベントは大盛況。(抵抗の仕方がクール!)
その結果、行政側は夜の世界とのつながりの必要性を、ナイト・クラブ業界側も行政との窓口の必要性を互いに認識し、夜の世界と行政側をつなぐパイプ役としてナイトメイヤーが生まれたそうだ。

渋谷のナイトメイヤーは、アムステルダムとは真逆の「規制緩和」をきっかけに登場した。
日本の夜の世界を規制する風営法の対象ビジネスに、これまで「ダンス営業(客にダンスさせるお店)」が入っていた。風営法は、警察による売春、賭博の取締りを主眼に終戦直後1948年に制定されたのだが、キャバレーやダンスホールの類も、買春仲介の場になっているという当時の認識から規制対象に含まれてしまった。その後、60年代にディスコが、80年代にクラブが、日本にも登場したが、「夜+ダンス」ということで風営法の規制を受けることに。キャバクラならまだしも、普通のクラブ事業者にしてみたら、なんで警察に取り締まられるのか、わけがわからない話。
ビリヤード場もダンスホールとともに1948年に規制対象に入れられたのだが、ビリヤード場は早くも法制定7年後には、「健全な屋内スポーツ」ということで対象から外されている(駐留米軍あたりからの圧力があったのではと妄想)。ダンスホールの方は、何十年たっても規制対象のまま。
ダンスに限らず、風営法による規制や警察立入りについては、表現の自由、営業の自由などの基本的人権を侵害しないように、と1984年の法改正の際に国会付帯決議に盛り込まれるぐらい、風営法は曰くつきの法律として存在してきた。にもかかわらず、今世紀に入ってもクラブやライブハウスを朝まで営業することは禁止されていた。
それがようやく2015年に法改正(*2)され、2016年6月から(届出が必要とは言え)朝まで踊っていていいことになった。いろいろな背景(*1)が重なって、このタイミングの法改正となったと思うが、やはり、夜のダンス業界を初めてまとめられたというところが大きいと思う。特定のビジネスの規制緩和に関しては、行政側に働きかけを行う業界団体の成立がほぼ前提条件になっている。行政側からすると、規制緩和する代わりに、業界団体を組織させて、しっかり自主規制・自己管理はしてもらうよ、という意味もある。
ただ、夜のダンス業界については、業界団体が長らく組織されなかった。今回は、ユーザー側というか、踊る側が率先してクラブ等の事業者も巻き込んで動いた感じ。結果的に業界団体という一組織化まではできなかったが、夜のダンス界(業界ではなく)の「代表者」を選出したことが成功の要因だと思う。

で、代表者となったのが、夜の渋谷区長となったZeebra氏だったわけだが、非常に適切な人選だったと思う。クラブの事業者側はまとまり切れず、一方、ダンス団体はクラブ事業者とは距離を取っているような状態(文科省の方に近づいていた)の中、クラブの集客をリードしてきたDJ側から代表者が出れば、どっちのサイドの関係者も話をしやすいし、話も聞いてもらいやすい。もちろん法改正にいたるには、代表者一人だけの力でどうかなるものではなくて、代表者を支えた関係者の力量も高かったのだと思う。議員さんへのロビー活動でも、与党には市場規模で、野党には人権問題で、働きかけていく作戦なんて、背後に策士がいるんだなぁと思った。Zebra氏の友達は「悪そうなやつら」だけではなかったってことか。
実際のところ、彼は法改正活動の代表者となった時点で、実質的にナイトメイヤーになったともいえる。後付けとはいえ、抜け目なく、「渋谷の」観光大使としてナイトメイヤーの称号を使った「昼の渋谷区長」も相当な策士だと思う。(別に、港区や東京都が、ナイトメイヤーの称号を出そうと思えば、出せたわけだし。)

ところで、夜の区長がいる渋谷には、ちゃんと「夜の渋谷区庁舎」もある。真夜中はもちろん、朝まで開いている。(渋谷署届出済み)


*1:カジノ法案成立のための事前法整備だという説を唱えている人もいるが、さもありなんと思う。カジノの周辺には、諸々のダンスを含む深夜遊興営業が付きものだし。東京オリンピック決定もプラスに働いたらしい。さらに言えば、カジノ法案も風営法改正も、大きな流れ(追い風)としてはインバウンド政策があるんだと思う。この流れに乗らないと、東京ですら、将来は暗いということなのだろう。
*2:先の東京オリンピックの1964年に、少年非行防止を目的に深夜飲食店営業に対する風営法の規制が強化されている。今回の東京オリンピック前に、その規制が緩和されたのは、かなり意義深い。(ちなみに、1970年の大阪万博を契機に増えたモーテルやラブホは、1972年に風営法規制対象になったまま。)




渋谷テロリズム(ライブハウス編) Chelsea Hotel Shibuya


かつて渋谷で、ライブ観客が無差別に殺されそうになった。

幸い、大量殺人は未遂に終わったが、タイミングがちょっと遅れていたら、英国マンチェスターのコンサート会場テロ並みに惨いことになっていた。

事件は東急ハンズの向かい側のビルB1にあるライブハウス「Chelsea Hotel」で2011831日に起こった。催涙ガス噴射とか、放火未遂とか、そういうワードで報道されたので、一般的には「観客は災難だったねー」程度の事件として記憶されているような気がするが、実際は、大量殺戮寸前のかなり緊迫した状況だったらしい。(詳しくは、犯人に催涙スプレーを噴射されながらも怯まず取り押さえたガッツのある支配人(店長)の手記で

犯人はガソリン10リットルを持ち込んでおり、催涙スプレーを噴射しまくっていたときには、店内にガソリン臭が充満していた。取り押さえるタイミングがちょっと遅かったら、一瞬で火の海になっていたかもしれない。その上、犯人は出刃包丁も持ち込んでいたから、先日のロンドン橋の切りつけテロみないな展開になっていたかもしれない。
英国のテロ事件は、日本から見ていると、今のところ彼岸の出来事のようだけれど、同じような凶行は、東京でも簡単に出来てしまうということをこの事件は、教えてくれていると思う。海外からテロリストが来日したとして、外国人観光客にまぎれて、どこにでも出入りしやすい渋谷は、狙われやすい街だと思う。テロリストは世界的なニュースにしたいだろうから、世界的に知られている街の方がいいだろうし。

ナイスファイト支配人のおかげで、武勇伝の刻まれたライブハウスChelsea Hotelは、今でも繁盛している。実は、Chelsea Hotelのオーナーは、「奥シブ」のへそ「宇田川カフェ」や山羊のいる「桜ヶ丘カフェ」も経営する人で、そもそもは音楽レーベルや音楽プロダクションの経営から始めたらしい。事件発生の報告を当の支配人から受けた直後に本人が書いたブログがまだ残っている。
ご本人いわく

『私の著書「UDAGAWA CAFE BOOK」にも、この「チェルシーホテル」が出来上がった時、新しい内装が嫌で「一度店を燃やせ。」といったことがある。と書いているが、お客さんのいるところでは燃やしてはいけない。』
いや、お客さんがいなくても、お店を燃やしてはいけないでしょ。

そういえば、渋谷Loftの裏手にあったFake Tokyoが最近、宇田川カフェに模様替えした。元の宇田川カフェがビル建て替えで閉店して、あそこに移転したらしい。
宇田川カフェSuiteの方は、外壁が落書きだらけChelsea Hotelステッカーだらけ。それを放置しているのは、オーナーの「ピカピカの新装」嫌いが理由なのかもしれない。Loft裏のカフェは、まだ新品状態だけど、どうやって「味出し」するんだろう。もし放火されたら、第一の容疑者はオーナーかも。





渋谷テロリズム(火達磨編) San Lorenzo Martire


渋谷の路上で人が生きたまま燃き殺されたことがある。

しかも周りには大勢の人が取り囲んでいたという。46年前のことだが、まるで中世の魔女狩りだ。

先日、渋谷暴動事件で指名手配されている元過激派の大坂容疑者と思われる人物が広島で逮捕された。渋谷暴動事件は、過激派の学生が渋谷で大暴れして交番でもぶっ壊したぐらいに、それまで思っていたが、そんな程度の「暴動」ではなかったようだ。フランス大統領選中の5月、パリで起こった暴動と同じぐらい過激に、デモ学生と警察が衝突を起こした事件だったらしい。

その暴動の最たるものが、大坂容疑者が関係した警察官殺害。その殺し方が酷い。

『中村警部補の警備部隊は神山町でデモ隊と遭遇。大群衆に押され、部隊は後退し、数人が逃げ遅れた。路上に倒れた中村警部補には暴徒が群がり、鉄パイプでめった打ちに。そして、複数の火炎瓶が投げつけられ、激しい火の手が上がった。中村警部補は病院に搬送されたが、大やけどを負っており翌15日に亡くなった。(産経ニュース2016.11.24 )』

滅多打ちにして動けなくなったところに、ガソリンをかけてから、大坂容疑者が火炎瓶を投げつけたという記録もある。遺体は半分炭化していららしい。非道さはテロ以上。5月のパリ暴動でも火炎瓶で機動隊員が火だるまになったが、動ける状態だったので命は助かっている。
当時、現場には、デモに参加した学生たちもいたし、取材にマスコミも集まっていた。なのに、生きたまま人が燃えているのを、ただ傍観、というか記者もひたすらカメラで撮影していた、というところがもっと恐い。(戦中世代は、人が燃えているのなんて、見慣れていたということ?)

もう一つ驚いたのは、事件が起こったのが、渋谷駅前交番付近なんかではなく、松濤の高級住宅地に接する神山通りだったこと。今は、ちょうどこの辺から「オクシブ」と呼ぶようになる。

事件現場には、殉職した中村警部補の慰霊碑が建てられている。統一教会の筋向いの古いお米屋さんの脇。慰霊碑の場所はお米屋さんが提供したそうだ。ストリートビューでも、良く見るとちゃんと写っている。小さな小さな慰霊碑なので、十年以上毎週前を通っていたのに気が付かなくて、本当に申し訳ありません。。。
こんな平和な住宅地で大暴れして火まで放つって、本来のデモのの目的とはまったく関係ないし、結局、社会を何も変えられていないし、デモ学生は、はなから単に暴れたかったとしか思えない。当時、全国でこんな風に暴れていた学生達は、今は会社という拘束具から放たれ、年金で自由に暮らしている。暇になったからといって、また学生の頃みたいに共謀して、首都高を集団逆走とか、団体バスで通学の列に突っ込むとか、絶対にやめてほしい。

ところで、暴動現場から安倍首相のご自宅マンションまでは、歩いて10分程のところ。周辺住民からは、テロの標的になるから、ちゃんと永田町の官邸の方に住んでいただきたいという声が上がっているが、相変わらず、あそこにお住まい。地元では、官邸に住みたくないから共謀罪の成立を急いでいる説を唱える人も。