渋谷にかつて城があったらしい。

 しかも、「渋谷城」というど真ん中直球の名前。城を作ったのは、もちろん渋谷史上の英雄(?)渋谷金王丸。今は「金王八幡宮」に名前を変えて名残をとどめている。名残といっても、お城の石垣だった石が一個だけ、境内の端っこに転がしてあるだけだけれど。それももっともな話で、城といってもお堀があって天守閣があるようなお城ではない。金王丸が生きていたのは、戦国時代よりずっと前なので、 要するにそこに金王丸の屋敷があったぐらいのイメージだったんだろう。
 ちなみに渋谷には今でも城がある。城というより「シャトー」な感じだけど。明治神宮から山手線沿いに渋谷に下っていったことがある人なら、山手線の向こう側に森に囲まれた謎のシャトーが建っているにに気づいたかもしれない。ずっと気になっていて、近くまで行ってみたいと思っているのだが、いまだにお城にアクセスするルートを発見できていない。

 話しを戻すと、地元でも「渋谷」という地名は、ここに城を構えた「渋谷」一族からとったと思っている人がいるが、実のところ渋谷氏は、渋谷に来る前は川崎方面に居て「河崎氏」を名乗っていたそうだ。だから彼らが来る前から渋谷は「渋谷」だったはず。
 彼らが川崎からなぜ渋谷に来たのかは知らないが、川崎は「川の先」というぐらいだから当時は多摩川の河口付近で平坦な上に海を背にしていたから、防衛上強固な砦を築くことはできない場所だったろう。丘陵が多い渋谷あたりは、彼らからすると拠点を置くのに安心だったのかなと思う。渋谷金王丸はここで周辺の勢力と攻防戦を行っているし、渋谷事件'46ではやくざチームが金王八幡神社の境内に集結して華僑武装集団の襲撃に備えたらしい。昔から、地形的に戦略上優位なポジションを取れる場所だったんだろう。

 ところで、今日は金王八幡神社のお祭り(例大祭)だったのだが、街中にお神輿がねりねりしていて、酔っぱらいつつ踊り狂う女の子やら、ふんどしを食い込ませたおっさんの尻やら、普段の渋谷にはない下町情緒たっぷりだった。
 金王八幡宮例大祭は、それなりに渋谷の街をあげてのお祭りで、9月に入ると早々に紫の垂れ幕が通り沿いにつるされる。東急本店通りにも赤い提灯が吊り下げられ、夜から朝まで燈される。夜は一見もうお祭りが始まっているかのように見える(お祭りでなくても人通りが多いので)。
 例によって各町内会には地元企業・商店からの寄付額を記した紙が貼り出されていた。鍋島家ゆかりの松涛公園にも貼られていたのだが、森進一や藤井フミヤの名前を書いてある紙がデカデカと貼ってあった(それに大して東急百貨店はわずか伍萬円。)一方、地元の人にも知られていない円山児童公園にも協賛する企業・商店名が書かれた提灯がたくさんつるされていた。提灯の中に周辺のラブホテルの名前がけっこうあるのが、とても円山町らしかった。地元の祭りには協賛するあたりは、その昔、ラブホテルが料亭や割烹だった頃からの習慣なんだろう。


追記)
渋谷の街中、金王八幡のお祭り一色になるが、実は金王八幡の南側にある氷川神社のお祭りも同時開催される。金王八幡サイドはうちは渋谷界隈の総鎮守といっているが、氷川神社の方が古くからある。そのせいかどうかわからないが、縁日の屋台は、氷川神社の方が数がずっと多い。当日、地元の子供たちは金王八幡ではなく、氷川神社の縁日に行く。