渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

July 2014

草深い渋谷 shibuya herb garden

exccentric cigarette

渋谷のハーブ屋さんが危ない。(いろいろな意味で)

渋谷ではハーブが密かなブームとして続いている。ハーブといってもグレーなやつ。はっきり言うと脱法ハーブなのだが、渋谷駅界隈にもいくつか路面店のハーブ屋さんがある。センター街の裏通り、国際通りの奥、百軒店の端とか、だいたいはクラブやライブハウスの近くにある。ビルやマンションでも営業しているお店を含めるとそれなりの数があるだろう。

早朝、クラブやライブハウスの前を通ると、妙なテンションの子がいたりする。酒に酔っているのとちょっと感じが違う、酩酊してるというよりもハジケている感じ。はしが転んでも可笑しいというのがぴったりくる。ジーンズを腰履きしてたら「足が半端なく短けー
www」、OCEANS風サーファーコーデにしたら「お兄さん、海連れてってーwww」っておまえらうるせーんだよっ!! 凸。まぁ、お兄さんと呼んでくれたから許すとしておこう。つっこまれてなんぼだし。

ところで、違法でも合法でもなく、わざわざ脱法ハーブと呼ぶのは、法的にグレーゾーンだから。人が摂取する目的でなければ、売っていても違法にはあたらず、警察も取り締まりはできなかった(指定薬物が入っているものは別)。ハーブ屋さんではお香や観賞用として売っている。
客が買ってからどう使うかは客の勝手。これまではそれでよかった。

いよいよハーブ屋さんが軒並みつぶれてしまう事態になってきた。警察庁と厚生労働省がタッグを組んで本気になった。指定薬物入りのハーブは輸入・製造・販売に加えて、所持、使用、購入、譲り受けについても禁止されることになった。

脱法ドラッグ(ハーブも含む)の呼び方も変わった。「脱法」だとなんか「違法じゃない」感がぬぐえないからのようだ。厚生労働省では以前から「違法ドラッグ」とはっきり言っていたのだが、広い世代に危険性をわかってほしいということで、呼び方を一般公募していた。
今日、新呼称が発表された。「危険ドラッグ」!確かにわかりやすいが、人の心をぐっと掴むものを感じないなー。どっちかというと、選ばれなかった案の方がぐっとくる。「廃人ドラッグ」「破滅ドラッグ」「殺人ドラッグ」「錯乱ドラッグ」とか、、、別の意味で誤解を与えそうだけれど。

渋谷バベル tower of power

shibuya babel

四半世紀かけて渋谷に塔が建つ。

渋谷駅ビルがもう着工した。駅周辺の開発のパースが最近次々公表されたのに、主役の駅ビルについては色彩ばかり美しいがディテールはぼやっとした絵が工事の仮囲いに貼られているだけだった。昨朝、玉川通りアンダーパスの壁と見たら、渋谷駅再開発の建築計画が張り出されていた。完成予定は「平成
40年」!出来上あがるのは東京オリンピックIIからさらに20年後。再開発が動き出すのに何十年もかかったというのはよく聞くが、建設期間が25年という開発は初めてみた。東京湾アクアラインですら10年で開通したのに。25年あればバベルの塔も完成しそう。

駅ビルは高さ
228m46階建て、延床27万平方メートル。渋谷では過去最大の開発規模。といっても通常の大規模高層ビルでも建設に25年もかからない。時間がかかるのは山の手線や銀座線の上で開発しなくちゃならないからだろう。線路の上は真夜中の4時間しか工事ができない。こつこつやれば大きいこともできてしまう見本だな。

いまは着々と進められている
渋谷駅ビル開発だけど、着工に漕ぎ着けるのにも四半世紀ぐらいかかっている。80年代には建設省と運輸省(現在は国交省の局)を巻き込んで、偉い先生を集めて委員会まで設けて協議したものの、結局実現しなかった。

バブル期の地価高騰も影響していると思うが、一番厄介だったのは、地権者(
JR、東急、京急、メトロ)が立体的に複雑ななことだった。その上、当時のJRはとてもケチで、改札口一つつくるのでも「地元が金を出すならねー」という態度だった。東急は二子玉とか郊外の開発に気が行ってたし、メトロは延伸計画をたくさん抱えていたし、そんなんじゃまとまるものも胡散霧消。その後は、単独でやれるところだけ先に開発された(JR埼京線ホームと京急マークシティー)。

ここに来て話が前に進んだのは、大地震とオリンピックのおかげだと思う。駅ビルの大部分を占める東急東横店東館が建ったのは太平洋戦争前だし、先の大地震で崩れなかったのが不思議なぐらい。もう耐震補強じゃ間に合わない状態だったんだろう。そこにきてオリンピックの誘致話が持ち上がり、前東京五輪の遺産を抱える渋谷は勢いづいた。ここに来てようやく各社の利害が一致したんだと思う。

東急はここ数年、渋谷周辺の土地を多数買い込んだらしい。リーマンショックで外資が東京の不動産を投げ売りし、そこに大地震で日本人まで脱東京を始める始末で、渋谷の地下もぐんと下がった。それをチャンスと見たのだろう。東急としては御膝元の渋谷で
80年代に散々西武にしてやらた意趣返し、臥薪嘗胆25年、渋谷を再び東急王国の王都とせんとしているようにも見える。渋谷西武があるセンター街付近が廃れる一方なのは、東急の腹いせなのかも。

狼と渋谷 shibuya & wolf

狼と渋谷 shibuya & wolf


渋谷の宮益坂には、狼が二匹いる。

宮益坂は、その途中にある宮益御嶽神社の門前町として江戸時代時代に発展していったそうだ。ここの御嶽神社は江戸幕府が開かれる前、室町時代に建立されたそうだが、いまでは渋谷区商工会館の屋上に窮屈そうに鎮座している。宮益坂からは鳥居と階段しか見えない。階段を上がる人も普段はあまり見かけない。境内に上がってみるとちゃんと社がある。社の前には普通は狛犬がいるのだが、ここには狼が二匹控えている。狛犬に比べると、顔もしゅっととしているし、身体も細マッチョでなかなかクール!たぶん、向かって右の狼が雪で、左が雨だと思う。

実はこの二匹の狼は、全国の狼信仰マニアや狼ファン(というジャンルがあるかは知らないが)には有名なようだ。狼と言えば、古来からの大口真神(大神)伝説とか、絶滅してしまった日本狼とか、、、ちょっと曰くありげで影のある感がいかにもマニアックな香り。狼信仰の本家は武蔵御嶽神社や秩父三峰神社だけど、渋谷のビルの谷間に神社が残るぐらい、狼信仰は江戸にも広がっていたんだろう。なぜか江戸では狼には火難・盗賊除けのご利益があるってことになっていたらしいが。

狼はもちろん神様の眷属で、二匹の奥には日本武尊が祭られている。残念ながら本殿の中のご神体は見ることができない。二匹の手前には不動尊の祠があって、石造が祭られている。不動尊は意外に小柄で、素朴というか、かわいいというか、ちょっとなごむ。境内にあるものの中では、いちばん古びていてヴィンテージ臭がする。だけど、このお不動様は昔から「札炙り不動」呼ばれていて、金儲けにご利益があるそうだ。不動尊の前に燈した蝋燭の火でお札を炙ると、お金が倍増するとかしないとか。昔は付近の商人が、今では金融関係者もお参りするらしい。

DeNAの社長さんもヒカリエから御嶽神社を見下ろしている場合じゃなくて、ぜひ一度お参りしていただきたい。せっかくなのでCCCやサイバーエージェントの社長さんもご一緒していただけると、炎上・不正アクセス除けのITアプリ不動と呼ばれるようになるかも。

宮益坂の山岳信仰 Mt.Fuji view from Shibuya

東急東横店(左上)の先には富士山が。

宮益坂から富士山が80年ぶりに見えるかもしれない。

宮益坂は江戸時代の途中までは、「富士見坂」と呼ばれていたそうだ。江戸では富士山が見える坂に好んで富士見坂という名前を付けたようで、今でも富士見坂が東京にはいくつか残っている。ただし、富士山が今でも見える富士見坂は2つしかないそうだ。

もちろん、宮益坂も今は富士山なんて見えない。東急百貨店東横店(旧東横デパート)が1934年に建ったときに隠されてしまった。ということはもしかすると、渋谷駅大改造で東急東横店が取り壊されると宮益坂から富士山を一瞬拝めるかもしれない。東横店東館はもうすっかり撤去されたので、後は西館が取り壊されると可能性が出てくる。でも、高さ200mの駅ビル工事が始まったら再び見えなくなるから、富士山マニアの人はこのチャンスにがんばって写真を撮ってほしい。

富士見坂がなんで宮益坂とネーミングになったんだろうとずっと不思議に思っていたが、ウィキベティアにちゃんと書いてあった。宮益坂の途中にある「御嶽神社」に奉られている「御岳権現(みたけごんげん)」にあやかって、御山(みやま)の音を貰って「みやます」と付けたらしい。恥ずかしながら、御嶽神社をずっと「おんたけじんじゃ」だと思っていた。このあたりの元の町名「美竹町」は「御岳(みたけ)」に由来しているそうだ。これも25年間知らなかった、、、

宮益坂は元々は大山街道(大山道)の一部で、丹沢の大山に通じていた。大山は雨降り山(雨乞いの山)として山岳信仰の対象になっていた。大山信仰集団だけでなく、富士山信仰集団も通った。信仰といいつつも、大山詣りは江戸っ子の夏のレジャーだったようで、最盛期には関東近縁から年間20万人が参詣したそうだ。現在の富士登山者数年間30万人(登頂者ではなく八合目まで登った人の数)と比べても結構な数字だ。当時(1750年代)の関東の人口が約600万人だったことを考えると、今なら年間130万人!130万人/年というと、東京歌舞伎座、大阪通天閣の年間来場者数と同じぐらい。観光スポットと呼ぶのに、十分な集客力だったんだと思う。

ぜんぜん、ダークな要素がない話になってしまったけど、宮益坂を山岳信仰カルト集団が上り下りしていた、と言うことにしておこう。