渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

August 2015

美男子と野獣 The Boy & The Beast




渋天街の入り口が見つからない。

「バケモノの子」を見た。渋谷のスクランブル交差点が舞台なので、ここはやはり渋東に見に行った。アニメのストーリーの方は、んーーー、テレビシリーズ24話でやった方がよかったかなーーー、というラーゼフォンとは真逆の感想。
それはさてさておきおき、地元民としては、渋谷のどこが出てくるかに、目が行ってしまう。うちのカミさんは、「あー、エクセシオールの前だねー」みたいな感じで、表通りで繰り広げられる場面は、どこだかだいたいわかったようだ。
 
片や、渋谷の暗黒面を経巡る者としては、やっぱり路地裏が気になってしまった。
冒頭、主人公の少年が、街を彷徨い疲れ果てて、路地の片隅にしゃがみこんでしまう。そこで、小さなかわいいバケモノに出会うのだが、瞬時にどこかわかってしまった。かつて、ハーブ屋さんがあった、あの小汚い路地裏だ。
実際に通ったことのある人なら、あんな場所に子供がしゃがみこんだりしねーだろっ、と突っ込みたくなるだろう。なにせ、しゃがんだ場所は居酒屋の裏で、煤と油で汚れている。その上、あそこは、別名センター街の男子便所と呼ばれるぐらい立小便が多い。常にアンモニア臭で溢れている。少年は、街をうろつくうちに風邪をひいていて鼻が詰まっているという裏設定だったのかも。

他にも、少年がしゃがみこんでいる場面があった。
大きいバケモノに初めて出会うシーン。夜になって彼は、駐輪場の自転車の間に体育座りしていた。そこに例の大きいのが通りかかるのだが、あそこは、JRの高架下、246のアンダーパス脇の通路。道路側が駐輪場になっていて、反対側の壁際は、ホームレスの人達の寝室が並んでいる。右側にそれらしき寝室といっても、寝床をダンボールやブルーシートで囲っただけなんだが。(映画でも、右側にブルーシートらしきものが描かれていた。)
あの通路は、昼も薄暗く、壁はグラフティだらけで、ある意味、渋谷アンダーグラウンド空間の典型なのだけど、夜中なら百鬼夜行も通るかもしれない雰囲気なのは確か。




でも、一番気になったのは、バケモノの街、渋天街への入り口。
建物と建物の隙間、人ひとりがようやく通り抜けられるぐらい狭い。映画では、スクランブル交差点に面している設定だった(ように見えた)。しかし、スクランブル交差点には、そんな隙間はない。あの辺は、建物と建物がびっちりくっついていて、広くても幅30cmぐらいしかない。
手がかりは、右側の建物の壁がレンガタイル貼りということぐらい。んで、交差点に面していないところも含めて、それらしい隙間を探したが、今のところ発見できない。

渋天街の方からスクランブル交差点に抜けるときの、パイプが何本も水平に走っているような隙間は、渋谷中にあるんだけどな。

 ↓ 雰囲気が似てる隙間


今回は、アニメの聖地巡礼になってしまった。。。


 

蛭子の復讐 double shrimp roll & beer


恵比寿には恵比寿様が二人居る。

恵比寿ガーデンプレイスのサッポロビール本社横には、小さいけど綺麗な恵比寿神社がある。ここが恵比寿のセントラルコアなのかと思いきや、実は、恵比寿には、もう一つ恵比寿神社があったりする。(恵比寿の地元ネタとしては、ど定番みたいだけど、、、)

恵比寿駅の北西側、商店街のアーケード裏に入ると、奥に鳥居が、どんと構えている。狭いながらも境内は、石の垣根で囲われ、石灯篭も手水舎もある。大木が生えていて、社殿も古びているので、一見、歴史がありそうだが、1959年に区画整理事業の一環として建てられたものだそうだ。

ガーデンプレイスの恵比寿神社は、1890年にビール工場が建設された後、まったく新しく建てられたものだけど、こちらには元々、天津神社という神社があったそうだ。6柱の偉い神様(天津神)を祀った神社で、地元では「大六様」と呼ばれて信仰されていたが、区画整理で建て替えるときに恵比寿様が合祀され、恵比寿神社に名前が変更されている。

日本の神話では、先住者・国津神一族に、天津神一族が日本を譲るように迫った(国譲り神話)ことになっているが、国津神一族の長は、大国主命(大黒様)で、その息子の事代主命(恵比寿様)が、国譲りを最終承諾したらしい。言わば、古代のポツダム宣言受諾。

ということは、この恵比寿神社は、天津神が勢ぞろいしているところに、かつての敗軍の将が招かれ、神社を移設・建替えされてしまったことになる。恵比寿様にしてみれば、溜飲を大いに下げることになっただろう。東京は、神話時代には蝦夷の住む地だったから、やっぱり恵比寿贔屓なのかしら。

いまとなっては、わざわざもう一度、西宮恵比寿神社から勧請までして、もう一つ神社を造ることはなかったのにと思うが、工場の方の恵比寿神社は、ガーデンプレイスがオープンする1994年までは一般公開していなかったので、当時、地元としては一般人がお参りできるところがほしかったんだろう。でも、あの神社が賑わっているのは見たことがない。1月に十日戎をやっている気配もないし。

天津神社の神様たちにとっては、むりやり神社の名前まで変更されてしまって、えらい迷惑だな。渋谷公会堂がC.C.レモンホールに変更されたような感じかも。以前の「大六様」の方が、雰囲気的にご利益がありそうな感じがするんだけど。この際、渋谷公会堂みたいに、元の名前に戻してもいいんじゃない、と思う。

蛭子の聖痕 the Abyss



神様が先か、ビールが先か。

ビールが先らしい。こんなとこでも「とりあえずビール!」ですか。。。
恵比寿ガーデンプレイスのサッポロビール本社の庭には、恵比寿神社がある。でも、古くから恵比寿神社があったから、この辺りが「恵比寿」という地名なわけではないらしい。江戸時代は、下渋谷村と呼ばれていた。

地名好きには、常識なんだろうけど、「恵比寿」という地名は、1890年に日本麦酒醸造會社(後のサッポロビール)の工場が開設され、「恵比壽麦酒」が生産されるようになった後に付けられたものだそうだ。
商品名が地名になった場所は珍しいと思う。逆はよくあるけど(浅草海苔とか、佃煮とか)。実際、「恵比寿麦酒」は、地名になるぐらいの全国的大ヒットになったらしい。
といいながら、当初は「大黒麦酒」にするつもりだったらしい(黒ビールとして売り出したかったから?)。すでに横浜に「大黒ビール」があったので、しょうがなく「恵比寿麦酒」に変更したらしい。

ということもあってか、なかってか、恵比寿神社は、ビール製造開始より遅れること3年、1893年に日本麦酒醸造會社によって本家・西宮恵比寿神社から工場内に勧請されている。望外の大ヒットに、慌てて後からお祀りしたような感じもする。えびす神には、海の向こうからやってきた渡来神の性格もあるらしいから、西宮の日本酒よりも、ビールの方が似合っている気はする。

JR
恵比寿駅か今日、あそこにあるのも恵比寿麦酒がバカ売れしたかららしい。生産量爆増で荷馬車では運搬が間に合わなくなったため、1906年に恵比寿麦酒専用の貨物駅として建設されたのが、恵比寿駅の始まりだそうだ。人間用の駅開設は、貨物駅の4年後。
地名も、神社も、駅も、全てヱビスビールの大ヒットのおかげなんだから、恵比寿は、豊田市や日立市並みに企業城下町ということかもしれない。

ところで、ヱビスビールを生産していた日本麦酒醸造會社の設立には、三井物産が資金面で後押ししたらしい。ということもあってか、なかってか、三菱系のキリンビールと100年以上も火花を散らし続けている。どちらも1890年製造開始だが、ヱビスビールの方は、日清戦争でバカ売れして国内トップの生産量になった。つーことは、円山町で帝国陸軍の軍人さん達が、戦勝祝いで飲みまくったに違いない。

そんなヱビスビールの牙城・渋谷にキリンビールが、ようやく切り込んだのは1976年。原宿のやや渋谷寄りに本社ビルを構えた。それから約40年、
一昨年、キリングループは本社機能を中野に集約し、キリンビールも原宿からは全面撤退。本社ビルは改装され、リハリビテーション専門病院になってしまった。
キリンビールは、渋谷への進撃は諦めたのかと思っていたら、昨年には公園通りのパルコパート3跡地にビアガーデンをオープン。そして今年4月に代官山(東急東横線跡地)に直営の体験型ブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」をオープンした。なんやー、恵比寿まで攻め込むつもり満々やん。渋谷をめぐるビール会社の陣取り合戦は、オリンピックまで続きそうな気配。


江戸城にいた狐 Foxy Lady




渋谷に千代田稲荷という神社がある。

渋谷にあるのに「千代田」というのは解せないと思っていたが、もともとは江戸が開かれたとき(1457年)、稲荷の本山・伏見稲荷大社から直接、千代田城内に勧請(今風に言うと誘致)してきた由緒ある家柄。千代田城を江戸城に拡張工事する際(1602年)に、渋谷宮益坂の名所、富士見桜の脇に移設されたようだ。江戸城が完成した後も、宮益坂に引き続き祀られた。

江戸名所図会にも載ったそうだから、それなりに江戸の観光スポットだったようだが、千代田稲荷の人気が出たのは幕末の頃だそうだ。
幕末の悲劇のヒロイン
和宮親子内親王が、幕府と朝廷のバランサーとして、徳川家茂に嫁ぐべく江戸に下るとき、その道中を千代田稲荷が守護したという風評が広まって、人気急上昇。ま、婚約者たいたのに無理やり政略結婚なんてストーリーは江戸所庶民が好きそう。千代田稲荷は、和宮ファンの「聖地」になったのかもしれない。浮世絵まで作られたらしいし。


関東大震災後に、千代田稲荷は、百軒店が開発された際に商売繁盛を願って道玄坂の方に移された。太平洋戦争末期には、戦災で社殿は焼失、
ホームレスを2年経験して、1947年に現在地、百軒店の一番奥の角地に落ち着いた。

謎が一つある。千代田稲荷は幕末まで江戸城内にあって、明治に入ってから高尾山に移されたという説がある。しかも、移したのは、幕末大奥の影の支配者、将軍付御年寄の瀧川!あの篤姫と敵対して、慶喜の将軍就任に反対した人。鹿児島藩主島津斉彬が「くぅっ、あの女狐め・・・」と言ったとか言わなかったとか。
そのフォクシー瀧川は、幕府が倒れ、江戸城を明け渡すときに、千代田稲荷を
高尾山に移設したらしい。実際、高尾山には千代田稲荷がいまもあるらしい。

江戸時代、千代田稲荷は江戸城内と渋谷の二か所あったことになる。千代田城を江戸城にリニューアルするときに、工事中は一旦、渋谷に移されて、江戸城完成後に城内に戻したのかもしれない。戻すときに地元から陳情があったかどうかわからないが、稲荷を分祀して、渋谷に社殿をそのまま残して継続利用したのかもしれない。

履歴はどうであれ、どちらの千代田稲荷も、江戸の始まりと終わりに立ち会ったことに違いない。

百軒店の千代田稲荷は、夜、提灯が灯ると雰囲気はいいのだが、宮益坂で賑わっていたときに比べると、今はサビレ感がないとはいえなくもなくはない。せっかく東京のパワースポットに数えられているのに勿体ないと思う。

ところで、百軒店は戦前~戦後と、クラシック、ジャズ、ロックと音楽関係の店が集まっていて、今では伝説となっているロック喫茶ブラックホークなんかもあって、当時は東京の音楽シーンに結構影響力があったそうだ。

ということで、千代田稲荷は音楽産業の発展にご利益があるということにしてはどうでしょうか、渋谷区長殿。祭礼の際には、松濤にお住まいのビッグなミュージシャンの方々にお越しいただけるよう、プロデュースをお願いいたします。