渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

June 2017

渋谷テロリズム(ライブハウス編) Chelsea Hotel Shibuya


かつて渋谷で、ライブ観客が無差別に殺されそうになった。

幸い、大量殺人は未遂に終わったが、タイミングがちょっと遅れていたら、英国マンチェスターのコンサート会場テロ並みに惨いことになっていた。

事件は東急ハンズの向かい側のビルB1にあるライブハウス「Chelsea Hotel」で2011831日に起こった。催涙ガス噴射とか、放火未遂とか、そういうワードで報道されたので、一般的には「観客は災難だったねー」程度の事件として記憶されているような気がするが、実際は、大量殺戮寸前のかなり緊迫した状況だったらしい。(詳しくは、犯人に催涙スプレーを噴射されながらも怯まず取り押さえたガッツのある支配人(店長)の手記で

犯人はガソリン10リットルを持ち込んでおり、催涙スプレーを噴射しまくっていたときには、店内にガソリン臭が充満していた。取り押さえるタイミングがちょっと遅かったら、一瞬で火の海になっていたかもしれない。その上、犯人は出刃包丁も持ち込んでいたから、先日のロンドン橋の切りつけテロみないな展開になっていたかもしれない。
英国のテロ事件は、日本から見ていると、今のところ彼岸の出来事のようだけれど、同じような凶行は、東京でも簡単に出来てしまうということをこの事件は、教えてくれていると思う。海外からテロリストが来日したとして、外国人観光客にまぎれて、どこにでも出入りしやすい渋谷は、狙われやすい街だと思う。テロリストは世界的なニュースにしたいだろうから、世界的に知られている街の方がいいだろうし。

ナイスファイト支配人のおかげで、武勇伝の刻まれたライブハウスChelsea Hotelは、今でも繁盛している。実は、Chelsea Hotelのオーナーは、「奥シブ」のへそ「宇田川カフェ」や山羊のいる「桜ヶ丘カフェ」も経営する人で、そもそもは音楽レーベルや音楽プロダクションの経営から始めたらしい。事件発生の報告を当の支配人から受けた直後に本人が書いたブログがまだ残っている。
ご本人いわく

『私の著書「UDAGAWA CAFE BOOK」にも、この「チェルシーホテル」が出来上がった時、新しい内装が嫌で「一度店を燃やせ。」といったことがある。と書いているが、お客さんのいるところでは燃やしてはいけない。』
いや、お客さんがいなくても、お店を燃やしてはいけないでしょ。

そういえば、渋谷Loftの裏手にあったFake Tokyoが最近、宇田川カフェに模様替えした。元の宇田川カフェがビル建て替えで閉店して、あそこに移転したらしい。
宇田川カフェSuiteの方は、外壁が落書きだらけChelsea Hotelステッカーだらけ。それを放置しているのは、オーナーの「ピカピカの新装」嫌いが理由なのかもしれない。Loft裏のカフェは、まだ新品状態だけど、どうやって「味出し」するんだろう。もし放火されたら、第一の容疑者はオーナーかも。





渋谷テロリズム(火達磨編) San Lorenzo Martire


渋谷の路上で人が生きたまま燃き殺されたことがある。

しかも周りには大勢の人が取り囲んでいたという。46年前のことだが、まるで中世の魔女狩りだ。

先日、渋谷暴動事件で指名手配されている元過激派の大坂容疑者と思われる人物が広島で逮捕された。渋谷暴動事件は、過激派の学生が渋谷で大暴れして交番でもぶっ壊したぐらいに、それまで思っていたが、そんな程度の「暴動」ではなかったようだ。フランス大統領選中の5月、パリで起こった暴動と同じぐらい過激に、デモ学生と警察が衝突を起こした事件だったらしい。

その暴動の最たるものが、大坂容疑者が関係した警察官殺害。その殺し方が酷い。

『中村警部補の警備部隊は神山町でデモ隊と遭遇。大群衆に押され、部隊は後退し、数人が逃げ遅れた。路上に倒れた中村警部補には暴徒が群がり、鉄パイプでめった打ちに。そして、複数の火炎瓶が投げつけられ、激しい火の手が上がった。中村警部補は病院に搬送されたが、大やけどを負っており翌15日に亡くなった。(産経ニュース2016.11.24 )』

滅多打ちにして動けなくなったところに、ガソリンをかけてから、大坂容疑者が火炎瓶を投げつけたという記録もある。遺体は半分炭化していららしい。非道さはテロ以上。5月のパリ暴動でも火炎瓶で機動隊員が火だるまになったが、動ける状態だったので命は助かっている。
当時、現場には、デモに参加した学生たちもいたし、取材にマスコミも集まっていた。なのに、生きたまま人が燃えているのを、ただ傍観、というか記者もひたすらカメラで撮影していた、というところがもっと恐い。(戦中世代は、人が燃えているのなんて、見慣れていたということ?)

もう一つ驚いたのは、事件が起こったのが、渋谷駅前交番付近なんかではなく、松濤の高級住宅地に接する神山通りだったこと。今は、ちょうどこの辺から「オクシブ」と呼ぶようになる。

事件現場には、殉職した中村警部補の慰霊碑が建てられている。統一教会の筋向いの古いお米屋さんの脇。慰霊碑の場所はお米屋さんが提供したそうだ。ストリートビューでも、良く見るとちゃんと写っている。小さな小さな慰霊碑なので、十年以上毎週前を通っていたのに気が付かなくて、本当に申し訳ありません。。。
こんな平和な住宅地で大暴れして火まで放つって、本来のデモのの目的とはまったく関係ないし、結局、社会を何も変えられていないし、デモ学生は、はなから単に暴れたかったとしか思えない。当時、全国でこんな風に暴れていた学生達は、今は会社という拘束具から放たれ、年金で自由に暮らしている。暇になったからといって、また学生の頃みたいに共謀して、首都高を集団逆走とか、団体バスで通学の列に突っ込むとか、絶対にやめてほしい。

ところで、暴動現場から安倍首相のご自宅マンションまでは、歩いて10分程のところ。周辺住民からは、テロの標的になるから、ちゃんと永田町の官邸の方に住んでいただきたいという声が上がっているが、相変わらず、あそこにお住まい。地元では、官邸に住みたくないから共謀罪の成立を急いでいる説を唱える人も。