かつて渋谷に地獄谷と呼ばれた場所があった。

地獄谷と言えば、世界的には、bathing apesで有名な長野県の地獄谷温泉ということになるが、渋谷にも、地獄谷と呼ばれた場所がその昔あったそうだ。
神泉駅付近から栄通りに向けて、急な斜面に挟まれた谷間がある。渋谷付近では地下を通っている京王井の頭線が神泉駅の手前で一瞬地上に出るので、その辺りが谷になっているのがよくわかる。江戸初期には、この谷間を地獄谷と呼んでいたらしい。
谷の斜面は(建物で見えないが)、高さ数メートルの崖地なので、こけたら血まみれになりそうに急な階段がいくつもある。この崖地がラブホ街の自然の結界になっていて、谷を渡ると、風景は神泉の住宅街に一変してしまう。
谷底の道路の下は、いまは下水道になっているが、昭和中期はドブ川が流れていたようだ。水の流れの源は、かつては神泉苑の湧水だったと思われる。この流れは、栄通りの下あたりで、松濤公園の池(湧水)からの水路と合流し、東急百貨店本店の下を通って宇田川(遊歩道)に流れ込んでいる。つまり、神泉苑と松濤公園は、宇田川水系の水源の一つ。

これだけだと、地獄的要素はぜんぜんないのだが、実は、江戸初期にここに稲荷神社を建立しようと、地面を掘ったら人骨が沢山出てきたそうだ。それ以来、「地獄谷」と呼ばれるようになったらしい。「地獄橋」という名前の橋も、谷川にかかっていたそうだ。
多量の人骨が埋まっていた理由は、いろいろ推察されているが、あの辺りは、中世の頃、周辺住民の埋葬場所というか、遺体処分場だったそうだ。当時は、一般庶民には代々の墓を作る風習がまだ広がっておらず、京の都でも、庶民の遺体は、都周辺の河原や野山に葬られていたらしい。庶民は土葬が主流の時代だが、仮に火葬だったとしても、当時の火力だと現在のように骨まで灰になることはなかっただろう。

こういう場所は、他にもあったんだと思う。
丘陵地の谷合、水の流れ近くに火葬場ある地域は、いまでも全国でみられる。京阪神では、地域的な歴史や因習との関係で、そういった谷合に火葬場、霊園、公営住宅が設けられていたりする。(古い神社がなぜか近くにあるのは、関西の暗黒史を垣間見る感じ。。。)
渋谷区内の火葬場、西原斎場も、丘陵地の谷合近くにある。地形的にも神泉によく似ていて、ちょうど火葬場の裏手の池が宇田川の水源(湧水)になっている。水の流れは、住宅街の坂を駆け下り、宇田川遊歩道へとつながっている。
同じ宇田川の水源で、その上、地獄谷とまで呼ばれていた神泉の方が火葬場にならずに済んだのは、大山街道が通っていて、江戸時代には、ある程度人通りがある場所になっていたからだろう。
しかし、火葬場にはならずに済んだものの、地獄谷の名に相応しい呪われた事件が、前世紀末に起こったのだった。(後編につづく)