渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

事故 accident

スパガス爆発 Backdraft


10年ほど前、渋谷でガス爆発があった。

2006年6月19日、死者3名、意識不明1名の惨事だった。爆発したのは、栄通りに面したスパ(温浴施設)「松濤温泉シエスパ」。経営はユニマットホールディングの子会社。爆発したのはスパの裏にある設備棟。ここで地下から温泉をくみ上げていた。温泉に含まれる天然ガスを除去していたのだが、除去装置からガスが漏れて地下室に充満したことが、爆発の原因のようだ。

シエスパは、全館女性限定の施設で、トリートメントルームやヨガスクールまであって、人気があった。センター街やランブリングストリートにも近くて、オールナイトロングの女子だけグループにはとっても便利(少しお姉さんの女子の皆さんは、円山町の男女兼用のお風呂を女同士でもご利用する見たいですが、、、)。
屋上に露天風呂があるのが、ユニマットらしい。実は、屋上露天風呂を作りたくてスパ事業を始めたんじゃないかと疑っている。露天風呂は円山町にもあるけど、9階建てのビルの屋上風呂には、敵わない。


スパだった建物
は、解体されず、白い鉄板で囲われたまま今も立っている。爆発した設備棟は、当時のまま、鉄骨だけの姿をさらしている。
無念の死者を3名も出た場所だけど、ここが心霊スポットだという話は聞いたことがない。ここは裏通りとはいえ、松濤の住宅が並ぶレンガ敷きの遊歩道で、近隣にお住まいの方の犬の散歩コースになっている。早朝は、結構爽快だったりする。1人しか死者は出ていない東電OL殺人事件現場の方が、今なお(というか、年々益々建物が古びてきて)不気味で陰鬱な雰囲気を漂わせている。

心霊現象もなさそうだし、そもそも、とても良い立地なんだから、建替えて何か事業をやってほしい。そろそろ建て替えないと、オリンピック需要を逃してしまうし。
敷地が狭いので、ホテルは難しそうだが、かといって飲食店のテナントビルにするのも、もったいない。いろいろな面から考えてもと、ユニマットが「スパ」を選んだのは、やっぱり正解だったと思う。
神泉には、江戸時代から温泉があったんだから、現在の渋谷にも温泉の一つはほしい。大手町にできる温泉宿「星のや東京」も話題になっているし、インバウンド需要を考えても、やっぱり渋谷温泉があるといいと思う。ユニマットは、ここでは二度とスパはやらないと公に言っているし、ここはやはり、ぜひ星野リゾートに土地を買い取ってもらって、渋谷温泉を開業してほしいところ。損害賠償訴訟も長引いているから、ユニマットもお安くしてくれるのでは。

渋谷の観光客の特徴を考えると、渋谷温泉はタトゥーフリーにする方がいい。渋谷では、肌が色柄物の観光客をほんとよくみかける。ちょっとタトゥーを入れました、という感じではなくて、肩から手首まで、がっつり入っている人が目立つ。たぶん、胸や背中もがっつりでしょう。
彼らも、せっかく日本に来たんだから、温泉にはつかりたいだろうけど、民間のスパや温泉宿は、入浴禁止のところが多い。道玄坂上のサウナも、入口にデカデカと「お断り」と書いてある。でも、欧米の色柄者が、たくさんお湯につかっていると、日本のその道の方も周囲を威嚇することもできないから、むしろ安心安全だと思うのだけど。(もちろん、肌絵は「気持ち悪い」と言う方も居られますが、、、)

LGBTを始め、ダイバーシティ・シティを標榜している渋谷区としては、タトゥーフリーの大浴場があるといいのではないでしょうか、区長殿。

 
追記:2016/9/7
荻窪にタトゥーフリーの浴場付きカプセルホテルがオープンしたらしい。外国人観光客取り込みを狙ったそうだ。荻窪は今どうか知らないが、JR中央線沿線(高円寺とか)は有名な彫師さんの店もあるから、模様の入った外国人観光客も多いエリアなんじゃないかな。

 


 

 

 

    

道玄坂供養碑 old cenotaph

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かつて渋谷は、帝国陸軍の軍人が闊歩する街だった。

日露戦争後、渋谷に大日本帝国陸軍の関連施設が建設され、陸軍の拠点となった。
代々木(いまの代々木公園からNHKにかけて)には陸軍練兵所、そのとなりに陸軍刑務所(いまの渋谷区役所のあたり)、駒場には陸軍医学校ができた。(いまでも、渋谷のいろんな場所に「陸軍用地」の石碑が残っているそうだ。)そんなわけで、週末ともなると軍人さん達が、地元渋谷でどんちゃんどんちゃん遊んでくれたおかげで、渋谷の街は急速に発展したようなものだ。(陸軍関係の施設があったことが、戦後の渋谷界隈のビジネスや文化を方向づけた話は、後日)

渋谷の西側、世田谷辺りは陸軍の演習場に使われた。世田谷は今のような住宅地ではなく、林の広がる丘陵地だったので軍事演習に最適だったのだろう。
明治時代のことだから、軍事演習といっても歩兵が地面を這いつくばるようなものだったと思う(その後、陸軍練兵場で日本における飛行機の初飛行が行われるまでは)。陸軍の主な火力は大砲だった。しかも大砲の移動は人力で行っていた。丘陵地の舗装されていない凸凹道を大勢で押したり引いたり、相当大変な作業だったと思う。

世田谷の演習場まで大砲を運ぶには、
大山街道を進むことになるのだが、最大の難所が道玄坂。いまより急な坂だったらしい。当時、大砲を押し上げていたとき、大砲がずり落ちて、多数の軍人が下敷きになって亡くなったそうだ。その慰霊碑が道玄坂上にいまもある。ちょうど渋谷マークシティの出口脇、桜の木の下にある。桜は遺族や陸軍軍人の有志が植えたのだろう、「同期の桜」って言うぐらいだし。毎年、桜の花が咲くころ、道玄坂に似つかわしくない風景になる。もっとも、夜になると円山町を目指すカップルが桜の下をくぐって行くのだけど。

その事件後、再発防止のため道玄坂上あたりの急な部分は削られ、
いまの傾斜になったそうだ。当時としては、そのぐらい大事故だったのだろう。帝国陸軍のお膝元で起こった事故なので、軍のメンツみないなものも多少はあったのかもしれない。