渋谷暗黒巡礼 Dark Pilgrimage in Shibuya

見ようとしても誰にも見えない渋谷、見えてるのに誰も見ようともしない渋谷

神々 deities

喧嘩上等渋谷編 Fight Club



渋谷に殴り合いのケンカができる場所ができた。

先日、例によって早朝の円山町を縦断して、道玄坂小路(平成女学院通り)に出ようと急な坂を下っていたら、いまどき希少な店舗型流行健康施設の隣に、新しい店ができていた。銀メタの閉鎖的なドアの脇に黒字にピンクの文字で"Fight Club"。場所的にもやばいところに、またやばそうな店名だな、と思って窓ガラスにへばりついて中を覗くとリングやサンドバック。どうやら格闘技のジムのようだ。


調べてみると、単なるジムではなかった。店内でお客さん同士で殴り合いできる文字通りファイト・クラブということらしい。トレーニングジムだけでなく、バーやDJブースもあり、ジムの会員でなくても、店内で飲み食いしながら、練習風景を見られる。当然、リングもあるのだが、それがなんと「金網リング」。ジムの会員はもちろん、飛び入りでも、ここで闘うことができるのが、ここの一番の売りのようだ。素人向けには、トレーナーを殴られ役にして、殴る練習もさせてくれるみたい。もちろん、素手で殴りあうのはできない。ちゃんと、ヘッドギアと巨大なグローブをつけてやるらしい。

で、ここで気になるのが、このお店は風俗営業(警察へ風営法の届出が必要な店)なのか。分かれ目は「殴り合い」が客への接待行為に当たるかどうか。
客同士の試合なら、客同士の接待(指しつ指されつ)なので、セーフかもしれないが、客とトレーナーの試合を他の客に見せる「ショウ」と捉えると、店による客への接待行為だ言えなくもない。だから、客とトレーナーの試合は、あくまでトレーニングであって、お客に見せるのが目的ではない、と言い張るしかないのでは。
ただし、以前、JKリフレ店で客にプロレスの技をかけるサービスをやっているところが、違法とされた事案があるから、客にキックやパンチを食らわせるのも、やはり客への接待行為だと指導される可能性がないとは言えないと思ったりもする。道玄坂小路(平成女学院通り)のあたりなら、ぜひ女子キックボクサーに蹴りを入れられたいというお客様も少なからずいるだろうし。

もちろん「Fight Club 428」は、そんな特殊な潜在ニーズから発想された事業ではない。事業を企画したのは、プロボクサー海彦さん。伊原道場所属。少年の頃に魔裟斗の試合を見て感動し、ストレートにこの道を目指したという格闘家。「格闘技を(やるのも観るのも)もっと気軽に楽しんでもらいたい」というストレートな想いから立案したそうだ。

だが、一番驚いたのは、この店を経営する会社の代表が、森俊介さんだったこと。

森さんは、道玄坂上に例の夜の図書館を開業した人。開業資金のクラウドファンディングで、支援者数日本新記録を打ち立て、当時かなり話題になった。
今回も資金調達の一部はクラウドファンディング。チケット購入型クラウドファウンディング(ENjiNE)で、入会金・会費3ヶ月分が無料になるプレミアチケットを販売。今年3/3、公開後2時間で目標金額が集まってしまったのも、納得。

元文学少年のビブリオマニアというイメージの森氏が、ファイトクラブを経営することになったいきさつは語られていないが、「森の図書室」が、本と人が出会うきっかけをつくりたい、というところから出発しているので、格闘技と人が出会うきっかけをつくりたいという海彦氏の志に共感したのかもしれない。それとも、単にブラピ主演の映画Fight Clubが好きだったのかもしれない。あの映画を見て、会社辞めて何かやりたくなったのかもしれないな・・・

相撲
に始まりプロレス、キックボクシングと、渋谷には200年以上の格闘技の歴史があると言ってもいいかもしれない。そういう意味では、渋谷で最初に格闘技の試合が行われたのは、渋谷氷川神社の境内ということになる。この際、渋谷における格闘技発祥の地、格闘技の神様として渋谷氷川神社をあらたにプロモートするのは、どうでしょうか。→宮司様、区長様、森社長殿

先ずは、異種格闘家による大相撲の開催かな。余興で、地元IT企業間の社員どうしの取組みをやっても盛り上がりそう。各社メタボ社員でそろい踏みとか。
ちなみに、今年、日本音楽界の記録を塗り替えたベイビーメタルもワールドツアー成功祈願の絵馬をここに奉納している。

 

運命と闘い続ける者に幸あれ。

渋谷大相撲 THE WARRIORS



江戸時代、将軍が渋谷に相撲を見に来た。

地元では、一応そういうこととになっている。
江戸の相撲は、各地の寺社の境内で開催された勧進相撲が始まり。江戸後期には本所回向院が主たる開催場所になっていったが、渋谷を含め、江戸近郊でもいくつか相撲が定期開催されていたらしい。
本所以外だったら、渋谷の相撲は見に行ってもいいかも、と将軍がいったとかいわなかったとか、というぐらいの話なので、渋谷に本当に将軍が見に来たのか怪しいところだが、江戸の街からも渋谷に見物客が集まっていたのは、本当らしい。当時、江戸郊外三大相撲の一つとして人気があったそうだ。(他の二か所は、世田谷と大井)

渋谷の相撲は、元々、渋谷氷川神社の例大祭で神事として相撲が行われていたのが、ルーツ。氷川神社の祭神はスサノオノミコトだが、荒ぶる闘神の前で相撲を催すというのは、ここの神事としてぴったりだと思う。そういう意味では、勧進相撲ルーツの江戸相撲とは、位置付けが異なるのかもしれない。いまでも、氷川神社の境内には、現役の土俵がある。

ここが寺なら山門に金剛力士像がほしいところだが、実は、神社の参道から離れたところに、ひっそりと力士像(仁王?)が祀られていることは、地元でもあまり知られていない。神社の近所、路地奥の民家門前に、俵ぐらいの大きさの花崗岩を掘り込んだ力士像が一体安置されている。
氏子の方の家なのだろうか、石像には木造の屋根がかけられて、水が供えられている。顔つきは、仁王様に似ているような気もするが、丸く出っ張ったお腹と蹲踞するポーズは相撲の力士に見える。

明治以降、渋谷では相撲の人気は途絶えてしまったが、格闘技関係は、その後も案外盛んだったんだと思う。
戦前は陸軍練兵場があった街だから、武術や格闘技ができる輩はたくさんいただろう。それが人材のベースになったかどうかはわからないが、戦後には、プロレス界の国技館と謳われた伝説の格闘技専用オーディトリアムが渋谷のど真ん中にあった。(後編に続く)





 

永き神々の不在 Existence of God



神山町には、神がいない。

渋谷七山の一つ神山。他の六つの山には、神社・仏閣、遺跡・古墳など、信仰的な場所がある(or かつてあった)。しかし、神山だけは、いずれも見当たらない。「神」に関連する痕跡が何もないのに、「神山」というのは、謎だ。地元では渋谷七不思議のひとつと言われているとかいないとか聞いたことはないけれど。

小高い山ですら、信仰の対象になっている地域は、世界各地で見られる。なのに渋谷の神山の頂には、社も墓も何もないというのは、解せないと永らく思っていたが、良く考えてみれば、神山町にはPL教団東京中央教会がある。
神山通りに面しては、PL病院が建っているだけなのだが、病院脇の大きな鉄ゲートから伸びるスロープの奥に病院よりも巨大な教会がある。敷地も広大で、神山町では「麻生大臣邸」と一二を争う面積。地図で見ると、敷地内にはハート形の池もある。しかし、航空写真で見ると、池のある場所には館が建っている。。。これは、いったい何を意味するのか?!
こうなると、もう、「神山町」という地名の由来は、そこにPL教団東京教会があることだったのではないかと思えてきた。

実は、渋谷区の公式ホームページの「地名の由来」を見ても、富ヶ谷と松濤については書いてあるのに、その間にある神山は抜けている。

ウィキペディアの「神山町」のページを見ても、なぜか町名の由来は書かれていない。神山町の歴史の項目には、「この節の加筆が望まれています。」とアラート表示されているのに、一向に加筆されない。
地名研究者の間では、神山町の由来は、みんな怖がって誰も書かないという都市伝説があるとかないとか、そういう話は聞いたことはないのだけれど、そこは、知らぬが仏、障らぬ神に崇りなし、真相は神のみぞ知るということでしょう。




神々の山嶺 Sette colli di Shibuya



渋谷には、七つの山がある。

ローマの七丘」というけど、渋谷は七山だったりする。実際は「山」といっても「丘」のレベル。原宿から代官山にかけて七つの丘が連なった地形になっているので、「渋谷の七丘」と呼んでもいいと思う。

渋谷の山(丘)は、源氏山、神山、大山、円山(荒木山)、西郷山、鉢山、代官山の七つ。このうち、源氏山、大山、西郷山の三山は、地名としては残っていない。
源氏山は、JR原宿駅舎付近(Gapがある辺り)の高台。昔は、お屋敷があったらしい。地名の名残はどこにもないが、強いて言えば、ジャニーズショップがあることぐらい(光源氏ってことで。こっちも見るかげないか。)。
大山は、今の松濤の高台(麻生大臣邸がある辺り)。お屋敷街の隅に、いまでも「大山稲荷神社」が祀られている。地名が松濤になったのは、昭和になってから。明治初頭に鍋島藩が、あの辺りを茶畑にして「松濤」ブランドのお茶を生産していたためらしい。
円山も昭和になってからの地名で、大正以前は荒木山と呼ばれていた。(鍋島藩荒木氏の所有だったので)
西郷山は、「西郷山公園」として名前を残している。この公園は見晴もいいけど、花見にもおススメ。運が良ければ、富士山も見える。

いずれの山もパワースポット的要素を持っている。
円山、西郷山、鉢山、代官山には、縄文時代の遺跡や古墳があった。源氏山、円山には、かつて寺があったし、大山、円山、代官山には、いまでも神社がある。
パワスポ好きには、「渋谷七山巡り」なんてツアーもご提案できそう。原宿発、奥渋経由、代官山着というルートは、別に渋谷七山でもパワスポでもなくても、春の渋谷お散歩コースとしては、超おススメなんだけれど。渋谷の谷底を通らなくていいというのも、このコースのポイント。

ただ、なぜか神山だけは、パワースポット的要素が見当たらない。神山なのに、神社も遺跡もない。
地元では「神なき神山」と呼ばれているかもしれないという神山の由来の秘密は、来週に続く...たぶん。







渋谷温泉 Shibuya Spaland



渋谷には江戸時代から大浴場があった。

およそ35年前まで、江戸時代から続く浴場が神泉にあった。場所は、神泉駅の南隣にあるローソンの辺り。そもそも「神泉」という地名自体、水が湧いていたがためとか。
神泉周辺は、湧水地域のようで、今でも二か所から水が湧いている。一つは、松濤公園、もう一つは東大駒場キャンパスの通称一二郎池。神泉にも古くから「姫ヶ井」と呼ばれた井戸(泉)があり、江戸中期には地元村営の共同浴場になっていたそうだ。大山道の一部である滝沢道沿いにあるため、大山阿夫利神社や淡島森巌寺詣の帰りにひとっぷろ浴びるのが江戸っ子の定番だったようだ。明治時代には「弘法湯」と呼ばれていた。いまでも、ローソンの脇に道しるべがある。

明治時代に共同浴場の営業権が売却され、民営化された。浴場の隣には、弘法湯経営の料亭「神泉館」が建てられ、渋谷最大の浴場として賑わっていたらしい。お湯があって、料亭があって、人が集まるとなると、やっぱり色っぽいサービスニーズが生じるわけで、弘法湯の向かいに芸者置屋「宝屋」が出来た(1887年)。それが、円山町に花街が生まれる発端になったらしい。言ってみれば、神泉に浴場がなければ、ラブホ街も道頓堀劇場も平成女学院もなかったかもしれない。恐るべし「お湯」のパワー。

そんな「お湯」パワーも、高度経済成長の終焉とともに衰え、1979年に弘法湯は閉鎖され、マンションに建て替えられる。オーナー一族の相続税問題もあったのかもしれない。オーナー一族は、いまでもマンションの一角に喫茶店とギャラリーを営んでいる(潔い直球勝負の店名ラ・フォンテーヌ!)。といっても、マンション裏の綺麗なオフィスビルの最上階に、有限会社弘法湯(たぶん資産管理会社)が入居しているところを見ると、不動産収入だけで食っていけるんだろうなー。三代目はフリーカメラマンが本業(道楽?)だし。

弘法湯がなくなったとはいえ、弘法湯をきっかけに彼の地に集積した沢山の「二人用のお風呂」のニーズは、顕在。世界最大のスパ、ナガシマスパーランドには規模では及ばないけど、お風呂のバリエーションを売りにして、神泉・円山町をお風呂のテーマパークできないかなと思ったり。
浴槽市場でトップのLIXILを蹴落としたいTOTOさん、円山町をお風呂のギャラリーに使ってもらえないでしょうか。やっぱりブランドイメージ的に無理かな。。。なら、別の戦略を考えよう。

 


 

幻の谷と小さな龍 the vanished valley and the tiny dragon



渋谷には、名前を失った谷がある。

 いまは渋谷の地名にはないが、かつて「北谷」と呼ばれた場所があった。地名の名残は、北谷公園と北谷稲荷神社ぐらい。そのあたりが北谷だったと思うが、ここぞ「谷」と呼べるような場所がどこなのか、指し示せと言われると困ってしまう。
 「谷」を呼ばれるからには、両側に急な斜面があるはずなんだけど、あの辺りは、JR山手線に向かう東斜面ばかりで、「谷」という感じがしない。

 ある朝、NHKの辺りから、桑沢デザイン研究所なんかを右手に見ながら、北谷稲荷のある坂を下っていて、ふと気づいた。この坂は、北側が岸体育館がある高台だし、右手に行くと、Lad MusicianやJournal Standerdがある坂に向かって、ぐぃっと急な坂になっている。ちゃんと谷の形になっているじゃない。北谷の本体、というか臍にあたるのは、どうも北谷稲荷神社のあたりようだ。
 現在の北谷稲荷は、周辺の土地を合わせて再開発されて、大きなビルの3階テラスに建てなおされた。建築と一体的に設計された「デザイナー社」ですね。

 古い神社がある場所は、それなりの理由があるのが常。どっちかっつーと、地形的に周辺と違う場所、泉が湧くとか、大きな岩があるとか、高台の上とか、いかにもパワースポットっぽいところが多い。神社が谷の底にあるということは、水が湧いていた場所の可能性が強い。
 北谷稲荷の谷を挟んで向側には、ちょっとした森に囲まれた謎の白い建物がある。人や車の出入りがないので、何をやっているのかわかり難い。建物の壁には窓がなくて、のっぺりとしている。実は東京都水道局の増圧ポンプ所らしい。
 増圧ポンプ所からは、水の音はいっさい聞こえてこない。が、北谷稲荷の社殿の真下、ビルの地下空間からは、ときどき轟轟と水の流れる、というか吹き出すような大きな音が聞えてくる。加圧施設から余剰の水を放水しているのだろうか。北谷稲荷のある場所は、やはり北谷の湧水地だったのかも。

 湧水や井戸とお稲荷様は、あまり関係ない。水辺にあるお稲荷様というもの見たことがない。もともとあそこには、何か別の神様が祀られていたんじゃないか。と思って、境内をうろうろしていたら、社殿の裏手に、▽の穴のあいた石碑、といっても高さ1mもないが、おいてあった。その前には、高さ35cmぐらいの、ちいさいというより、ちっぽけな社(?)がある。手前には、これまた極小の賽銭箱が。。。右手にある石碑には、ちゃんと「龍神」と掘り込んである。
 谷と水の街、渋谷に水につきものの竜神様の神社がないのが、前々から不思議だったのだが、こんなところで見つかるとは。ちっぽけだけど。浅草寺のご本尊も一寸八分だけど、あれだけ人を集めるのだから、大きさと霊験とは関係ないのだろう。岩の▽穴の周りには、三角形に波しぶき模様が彫られていて、勢いのある水の流れを感じさせる。ちょうどこの真下から水流の轟音が聞える。▽穴から除くと、ちょうど水道局の建物が見える。明らかに意図的に水のパワースポットにあたるところに岩が配置されている。

 ▲の中に、小さな▽がある文様は、龍や蛇の「鱗」を表している。きっと古くは、ここは水の湧き出す龍神信仰の場だったのだろう。いまでは、小さな龍は、狐に踏みつけられているけど、渋谷の街を水害から守っているのは、このちっぽけな水龍なのかもしれない。意外とレバレッジが効いて、ご利益はおっきいかもしれないので、水商売の方はもちろん、渋谷川付替え工事関係者の皆様は、ぜひお参りいただきたい。








 

蛭子の復讐 double shrimp roll & beer


恵比寿には恵比寿様が二人居る。

恵比寿ガーデンプレイスのサッポロビール本社横には、小さいけど綺麗な恵比寿神社がある。ここが恵比寿のセントラルコアなのかと思いきや、実は、恵比寿には、もう一つ恵比寿神社があったりする。(恵比寿の地元ネタとしては、ど定番みたいだけど、、、)

恵比寿駅の北西側、商店街のアーケード裏に入ると、奥に鳥居が、どんと構えている。狭いながらも境内は、石の垣根で囲われ、石灯篭も手水舎もある。大木が生えていて、社殿も古びているので、一見、歴史がありそうだが、1959年に区画整理事業の一環として建てられたものだそうだ。

ガーデンプレイスの恵比寿神社は、1890年にビール工場が建設された後、まったく新しく建てられたものだけど、こちらには元々、天津神社という神社があったそうだ。6柱の偉い神様(天津神)を祀った神社で、地元では「大六様」と呼ばれて信仰されていたが、区画整理で建て替えるときに恵比寿様が合祀され、恵比寿神社に名前が変更されている。

日本の神話では、先住者・国津神一族に、天津神一族が日本を譲るように迫った(国譲り神話)ことになっているが、国津神一族の長は、大国主命(大黒様)で、その息子の事代主命(恵比寿様)が、国譲りを最終承諾したらしい。言わば、古代のポツダム宣言受諾。

ということは、この恵比寿神社は、天津神が勢ぞろいしているところに、かつての敗軍の将が招かれ、神社を移設・建替えされてしまったことになる。恵比寿様にしてみれば、溜飲を大いに下げることになっただろう。東京は、神話時代には蝦夷の住む地だったから、やっぱり恵比寿贔屓なのかしら。

いまとなっては、わざわざもう一度、西宮恵比寿神社から勧請までして、もう一つ神社を造ることはなかったのにと思うが、工場の方の恵比寿神社は、ガーデンプレイスがオープンする1994年までは一般公開していなかったので、当時、地元としては一般人がお参りできるところがほしかったんだろう。でも、あの神社が賑わっているのは見たことがない。1月に十日戎をやっている気配もないし。

天津神社の神様たちにとっては、むりやり神社の名前まで変更されてしまって、えらい迷惑だな。渋谷公会堂がC.C.レモンホールに変更されたような感じかも。以前の「大六様」の方が、雰囲気的にご利益がありそうな感じがするんだけど。この際、渋谷公会堂みたいに、元の名前に戻してもいいんじゃない、と思う。

蛭子の聖痕 the Abyss



神様が先か、ビールが先か。

ビールが先らしい。こんなとこでも「とりあえずビール!」ですか。。。
恵比寿ガーデンプレイスのサッポロビール本社の庭には、恵比寿神社がある。でも、古くから恵比寿神社があったから、この辺りが「恵比寿」という地名なわけではないらしい。江戸時代は、下渋谷村と呼ばれていた。

地名好きには、常識なんだろうけど、「恵比寿」という地名は、1890年に日本麦酒醸造會社(後のサッポロビール)の工場が開設され、「恵比壽麦酒」が生産されるようになった後に付けられたものだそうだ。
商品名が地名になった場所は珍しいと思う。逆はよくあるけど(浅草海苔とか、佃煮とか)。実際、「恵比寿麦酒」は、地名になるぐらいの全国的大ヒットになったらしい。
といいながら、当初は「大黒麦酒」にするつもりだったらしい(黒ビールとして売り出したかったから?)。すでに横浜に「大黒ビール」があったので、しょうがなく「恵比寿麦酒」に変更したらしい。

ということもあってか、なかってか、恵比寿神社は、ビール製造開始より遅れること3年、1893年に日本麦酒醸造會社によって本家・西宮恵比寿神社から工場内に勧請されている。望外の大ヒットに、慌てて後からお祀りしたような感じもする。えびす神には、海の向こうからやってきた渡来神の性格もあるらしいから、西宮の日本酒よりも、ビールの方が似合っている気はする。

JR
恵比寿駅か今日、あそこにあるのも恵比寿麦酒がバカ売れしたかららしい。生産量爆増で荷馬車では運搬が間に合わなくなったため、1906年に恵比寿麦酒専用の貨物駅として建設されたのが、恵比寿駅の始まりだそうだ。人間用の駅開設は、貨物駅の4年後。
地名も、神社も、駅も、全てヱビスビールの大ヒットのおかげなんだから、恵比寿は、豊田市や日立市並みに企業城下町ということかもしれない。

ところで、ヱビスビールを生産していた日本麦酒醸造會社の設立には、三井物産が資金面で後押ししたらしい。ということもあってか、なかってか、三菱系のキリンビールと100年以上も火花を散らし続けている。どちらも1890年製造開始だが、ヱビスビールの方は、日清戦争でバカ売れして国内トップの生産量になった。つーことは、円山町で帝国陸軍の軍人さん達が、戦勝祝いで飲みまくったに違いない。

そんなヱビスビールの牙城・渋谷にキリンビールが、ようやく切り込んだのは1976年。原宿のやや渋谷寄りに本社ビルを構えた。それから約40年、
一昨年、キリングループは本社機能を中野に集約し、キリンビールも原宿からは全面撤退。本社ビルは改装され、リハリビテーション専門病院になってしまった。
キリンビールは、渋谷への進撃は諦めたのかと思っていたら、昨年には公園通りのパルコパート3跡地にビアガーデンをオープン。そして今年4月に代官山(東急東横線跡地)に直営の体験型ブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」をオープンした。なんやー、恵比寿まで攻め込むつもり満々やん。渋谷をめぐるビール会社の陣取り合戦は、オリンピックまで続きそうな気配。


江戸城にいた狐 Foxy Lady




渋谷に千代田稲荷という神社がある。

渋谷にあるのに「千代田」というのは解せないと思っていたが、もともとは江戸が開かれたとき(1457年)、稲荷の本山・伏見稲荷大社から直接、千代田城内に勧請(今風に言うと誘致)してきた由緒ある家柄。千代田城を江戸城に拡張工事する際(1602年)に、渋谷宮益坂の名所、富士見桜の脇に移設されたようだ。江戸城が完成した後も、宮益坂に引き続き祀られた。

江戸名所図会にも載ったそうだから、それなりに江戸の観光スポットだったようだが、千代田稲荷の人気が出たのは幕末の頃だそうだ。
幕末の悲劇のヒロイン
和宮親子内親王が、幕府と朝廷のバランサーとして、徳川家茂に嫁ぐべく江戸に下るとき、その道中を千代田稲荷が守護したという風評が広まって、人気急上昇。ま、婚約者たいたのに無理やり政略結婚なんてストーリーは江戸所庶民が好きそう。千代田稲荷は、和宮ファンの「聖地」になったのかもしれない。浮世絵まで作られたらしいし。


関東大震災後に、千代田稲荷は、百軒店が開発された際に商売繁盛を願って道玄坂の方に移された。太平洋戦争末期には、戦災で社殿は焼失、
ホームレスを2年経験して、1947年に現在地、百軒店の一番奥の角地に落ち着いた。

謎が一つある。千代田稲荷は幕末まで江戸城内にあって、明治に入ってから高尾山に移されたという説がある。しかも、移したのは、幕末大奥の影の支配者、将軍付御年寄の瀧川!あの篤姫と敵対して、慶喜の将軍就任に反対した人。鹿児島藩主島津斉彬が「くぅっ、あの女狐め・・・」と言ったとか言わなかったとか。
そのフォクシー瀧川は、幕府が倒れ、江戸城を明け渡すときに、千代田稲荷を
高尾山に移設したらしい。実際、高尾山には千代田稲荷がいまもあるらしい。

江戸時代、千代田稲荷は江戸城内と渋谷の二か所あったことになる。千代田城を江戸城にリニューアルするときに、工事中は一旦、渋谷に移されて、江戸城完成後に城内に戻したのかもしれない。戻すときに地元から陳情があったかどうかわからないが、稲荷を分祀して、渋谷に社殿をそのまま残して継続利用したのかもしれない。

履歴はどうであれ、どちらの千代田稲荷も、江戸の始まりと終わりに立ち会ったことに違いない。

百軒店の千代田稲荷は、夜、提灯が灯ると雰囲気はいいのだが、宮益坂で賑わっていたときに比べると、今はサビレ感がないとはいえなくもなくはない。せっかく東京のパワースポットに数えられているのに勿体ないと思う。

ところで、百軒店は戦前~戦後と、クラシック、ジャズ、ロックと音楽関係の店が集まっていて、今では伝説となっているロック喫茶ブラックホークなんかもあって、当時は東京の音楽シーンに結構影響力があったそうだ。

ということで、千代田稲荷は音楽産業の発展にご利益があるということにしてはどうでしょうか、渋谷区長殿。祭礼の際には、松濤にお住まいのビッグなミュージシャンの方々にお越しいただけるよう、プロデュースをお願いいたします。



狐憑き 15th CENTURY FOX



渋谷
には齢500歳の狐がいる。

東京には昔からお稲荷さんが多い。江戸時代には、江戸でよく見かけるものといえば「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と言われたぐらい。
江戸が作られ、幕府が移った際に、なぜか伊勢から商人が多数移住したらしい。お店の屋号をみんな「伊勢屋」にしたので、そこらじゅうにあったそうだ。で、商売繁盛を祈願して、これまたそこらじゅうに稲荷神社を建てた。その上、初期の江戸は整備がまだまだだったので、治安も悪かった。なのでお店では用心に犬を飼っているところが多かった。で、道には糞、糞、糞だったとことらしい。

渋谷には、地図に載っている稲荷神社が
ヶ所ある。千代田稲荷、大山稲荷、玉造稲荷、豊栄稲荷、北谷稲荷の5つ。
この中で、古くから渋谷を守護してきたのは、玉造稲荷、豊栄稲荷、大山神社の3つ。
千代田稲荷と北谷稲荷は余所から移ってきた神社だ。

玉造稲荷は、金王八幡の境内にあって、鎌倉時代に渋谷氏によって創建され
たもの。「玉造」なので、金を造るに転じて、商売繁盛のパワースポットだとかないとか。
豊栄神社は、もともと渋谷駅付近にあった田中稲荷(渋谷氏創建)と、道玄坂にあった豊澤稲荷を金王八幡の向かいに移転、合祀したもの。
大山神社は、上渋谷村の村名主の祖先が15世紀にこの地に移住してきたときに建てたもので、「村の鎮守」だったそうだ。鎮守さまなのに地元地名じゃなくて「大山」と名付けられたのは、大山参りと関係があるのかもしれない。先の3社も、江戸方面から玉造、田中、豊澤の順に大山道沿いにあったのだから、あながち無関係ではないと思う。

稲荷のメッカ江戸でも、江戸時代以前から地元の神として祀られてきた歴史のある稲荷は限られるだろう。全国の稲荷ファン、キツネ好き及び、狐憑きの人は、ぜひ一度お参り下さい。稲荷詣のマストアイテムは、メゾン・キツネのポロシャツですね。

残り2つ、江戸の始まりと終わりに関係の深い千代田稲荷と、実は渋谷の隠れたパワースポット北谷稲荷は、少し由来や性格が異なるので、また別に。